• カテゴリー別アーカイブ 2005年
  • _年別_ » 2005年
  • v020 どっちだ(気が長いの短いの)

    ■どっちだ(気が長いの短いの)

    雪の札幌

    北海道は車社会なので、ドライバーの運転はもっと荒いものかと思っていました。
    歩いている道の左前方の脇道から車が来て一旦停止。見通しの良い道路で、車の往来はありません。歩行者である自分とその車との距離は十分にある。こんな時、ドライバーは左右確認をしたならばすぐ車を発進させるのが普通です。ところが、こういう場合、高い確率で歩行者が通り過ぎるのを待ってくれちゃうのです。

    確かに時々は微妙なことは微妙と言えなくもない距離ではあるかも知れない。(かなり複雑な表現)
    しかしながら、車がスッと出てくれた方が歩行者としてもありがたい距離ってあると思うのです。車の前を通過するまでにはそこそこの時間がかかるというのに、車が待ってくれている場合、心身共に妙な圧迫を受けることになります。

    『あれっ、何で発進しないんだろう。道路ガラガラなのに。ひょっとして待ってくれている? なら急がないと悪いなぁ』と思ってやや早歩きになります。しかし、やっぱり距離があるので、車に出てもらおうと歩みを遅め、行って下さい的な態度をしてしまいます。しかしその時にはもうかなり微妙な位置に来ていて、
    『ここまできたら早く渡らないと、待ってくれている車に悪い』と思い、結局は小走りになります。
    もうガックンガックン状態。
    すげーストレスです。
    「何で走らないといかんのかなぁ」

    いやまあ、ゆっくり歩いて通過すればいいのでしょうけど、この妙な間にはどうしても負けてしまいます。
    私は思いました。こっちの人は明らかに気が長い。

    横断歩道を渡っている時も、右折車も左折車も、自分との距離が結構あっても待つ車が多いです。
    「ありゃ、サクっと行けば良いのに」と思ったりします。いかんですかね、こんなにゆとりがない考えは。

    札幌は今180万人の都市です。そのほとんど中心地でも幹線道路の1本裏に入ると交通量が多くは感じません。いや、本当に少ないです。歩いていて信号機が赤でも、車が来ていないと大抵みんな渡ります。子どもが見てようがみんな渡ります。信号待ちの自分もつられて渡ります。
    私は思いました。こっちの人は明らかに気が短い。

    あれ、どっちだ?

    ※写真は11月9日に降った初雪です。昨年より13日遅かったそうで、今年は暖かいということです。


  • v019 初老のせいでタコのコリを取った

    ■初老のせいでタコのコリを取った

    猫のトラッシュ

    自宅でよく酒を飲みます。日本酒に焼酎、ワイン、紹興酒、ビール、などなど。
    居酒屋へは行く頻度が減りました。札幌には知り合いがほとんどいないですから、仕方ありません。

    おかげで仕事や愛や勇気や世界平和や地球温暖化に伴う人類の存亡についてのことや、新しいエネルギーへの転換が急務であることやドラフトの完全ウエーバーのこと、おいしい店の話やグレープフルーツの香りのダイエット効果のことや、西洋医学は根本的に間違っていること、現代人のほとんどが精神病であること、記念切手の発行が多すぎること、魚介類が人類への復讐を企てていること、ラーメンのポイントはやはり麺の縮れ具合であること、牛や豚の苦しみ悲しみについてのこと、地球は実は地獄であること、ネコも夢を見ること、放射性物質は半減期が数億年単位であること、CPUはタダの石の塊に見えるのにいろんな指示をきちんと聞く不思議についてのこと、などなど、について語ることが減っています。

    そんなある日、自宅で日本酒(比較的安い「まなぐ凧」という青森の純米酒)を、「凧」だからというわけではなく「タコの刺身」で飲んでいました。
    タコにはわさびが合います。わさびはしょう油に溶かすより、直接ネタに乗せてしょう油につけて食べるとわさびの風味が活きるらしいので、ねりわさびのチューブを手に、ねりねりっとタコに乗せました。

    「あっ、この透明性の高いゲル状のものは何だっ」

    チューブのキャップが黄緑で、ほとんど同じ大きさの、わさびのチューブによく似たそれは、肩こりに効くバンテリンという消炎剤でした。
    タコのコリがとれたかも知れません。それはともかく、これほどのマジボケは記憶がなく、

    「ついにここまできてしまったか…」

    というショック状態でビリビリしびれていました。これは老化なのでしょうか。
    でもよく考えたら、昔から、私の好きなハインラインの「夏への扉」を、何度読んでもすぐにストーリーを忘れてしまい、読む度に感動していたことも事実。これほどのマジボケの記憶がないのは、まさに記憶だけないのであって、かなり前からボケは始まっていたのかも知れません。
    こんなこと書いても何の意味もない。

    とにかくかつてないショックを受けたのであります。

    ※写真は酒が嫌いな我が家の猫です。どうでもいい、と言っています。


  • v018 花ばっかり

    ■花ばっかり

    花

    札幌に来て良かったなぁと思える、もっとも大きなことは、外を歩いていると必ず花が目に入ることです。特に、たんぽぽの黄色が美しく感じます。駐車場のふちに、道の脇に、空き地に、たくさん見られます。
    たんぽぽだけじゃなく、よくわからない花もたくさん咲いています。それもどの花も小振りできれいな花ばかり。高山植物の類いではないかと思います。自然に生えているってのがまたいいのです。

    買い物などで外に出ると、歩くのが面倒だなぁとか思うのですが、花がいろいろ咲いていると気分が良くなり、立ち止まって眺めたりすることが多いです。何となく気分の良くない時も、外へ出ると全部忘れるくらい気分が良くなります。

    札幌はほとんどどこへいっても花壇があり、街路樹の下などに本当にいろいろな花がカラフルに植えられています。誰が手入れをしているのかわかりませんが、その数はものすごいものです。

    多分1年の半分が雪に覆われるからでしょうか、植物が元気な半年をめいっぱい有効に使っているのでしょう。花の季節がもうそろそろ終わります。でも雪は雪でまた悪くはないです。

    ある日、町を歩いている時、前から小さな女の子連れの親子とすれ違いました。その母が子どもを叱ったのですが、それが実に微笑ましかったのです。
    「何してるのっ!! 花ばっかり見ないっ!!」

    怒るなよ、って思って、ちょっとにやけてしまいました。


  • v017 ゴミ収集問題の謎 その3:お祭りの惨状

    ■ゴミ収集問題の謎 その3:お祭りの惨状

    札幌の夜景

    燃えるゴミと燃えないゴミは分けて出すのが常識となった今日この頃。
    正直なところ、それに慣れてしまって、神経質になっている自分がイヤになる時があります。

    さすがにまだ“ビン”と“ビンのラベル”を分別するほどの「ゴミ奉行」ではありませんが、この頃ペットボトルとそのフタは分けたくなっている自分がいます。コピー用紙とホッチキスの針もです。
    分別の意識レベルは一度上がるとなかなか落ちません。古新聞の中にチラシや雑誌を混ぜることもしなくなったりします。

    私の考える最上級は、古いビン詰め商品の中身を腐っていてもカビが生えていても中から出して、ビンを洗って乾燥させてから捨てるというやつで、たまらんです、これは。
    古いビンの中の尋常ではないものが見えていて、中身出せますか。私なら目をつぶって捨てます。
    しかしそれを許さない「ゴミ奉行」を越えた「ゴミ独裁者」とも言える人が存在します。

    うちにはゴミ独裁者がいるので部屋がゴミだらけです。(ここ笑うところですよ)
    開けることができないので、捨てられないし。
    札幌市が“求めている”のは明らかに「ゴミ独裁者」レベルです。
    缶ゴミを出すときは“中を軽くすすいでから”出さねばなりません。缶ビールを飲んでそのままポイってのはダメなことになっています。ビンの中身は出し切り、マヨネーズは絞り切る、油もできるだけ切る、洗剤等も使い切る、そしてすすいでから出すのがルールです。
    このレベルのことを札幌のゴミガイドは平然と言いのけています。
    ただし、何だこれはと思うほど、このガイドとのギャップに驚くゴミ事情があるのです。

    それはお祭りの時。
    現場はいつも目を覆いたくなるような惨状となっています。ゴミ箱は大量に設置されてはいるのですが、ほとんどの場合、そこに「燃やせないゴミ」のゴミ箱がないのです。「燃やせるゴミ」と「資源ゴミ(ビン・缶・ペットボトル)」という2種類のゴミ箱だけ。
    こんな経験をしました。夏のある祭りの時、「おいしいカニ汁」を食べ、燃やせない容器と、生ゴミのカニの殻、燃やせるゴミの割り箸が手元に残りました。それ、全部ひとつの「燃やせるゴミ」のゴミ箱に捨てるしか方法がなかったのです。そして市民のみなさんは、気にする様子もなく全て混ぜこぜに捨てていたのです。あんぐりとしました。

    実は町のコンビニのゴミ箱にも「燃やせないゴミの箱」がなくて困ったこともありました。結局は燃やせるゴミ箱に燃やせないゴミを捨てるしか方法がありませんでした。抵抗ありますよー、ほんとに。

    最近、あるイベント会場の大通公園で、燃やせないゴミのゴミ箱を発見し、びっくりしてしまいました。(笑)
    それにしても、こんな感じに神経質になっている自分がイヤになります。

    ※写真は札幌の夜景です。こんなちっぽけな話をあざ笑うかのような美しさです。


  • v016 ゴミ収集問題の謎 その2:解けない謎

    ■ゴミ収集問題の謎 その2:解けない謎

    ゴミ 廃棄物

    今年3月、東京から札幌へ引っ越す際に、ゴミのことでとても困ったことがありました。
    スプレー式の殺虫剤の処分です。

    札幌市が出しているA4で32ページ、イラストをふんだんに使ったフルカラーの立派な冊子「家庭用 ひと目でわかる 改訂版 ごみ分けガイド」によると、このスプレー缶の処分の仕方についてはこう書かれています。

    整髪料・殺虫剤・卓上ボンベなどは、中身を出し切ってから
    屋上などの風通しの良い場所で穴をあけ、
    中身の見える別袋に入れてください。

    引越しの際、処分に困っていた殺虫剤は、中身がたっぷり残っているものが5~6缶ありました。穴を空けたら人間が殺虫剤をたっぷり浴びて死んでしまいます。使い切るまで噴霧するのは危険です。外で出し切ったらいいとも思いません。だって町に薬剤をばらまくことになります。で、結局どうしようもなくてそのまま捨ててしまったのです。

    おそらくどう考えてもいい結果は生んでいないでしょう。そのことが妙に気にかかっていたので、立派な冊子を出している札幌市の清掃事業部ならいい解決法を知っているだろうと電話してみました。さて、本当に正しいスプレー式殺虫剤の処分の仕方とは…。

    「もしもし、ごみの捨て方で、ひとつお聞きしたいのですが」
    「はい」
    「殺虫剤のスプレーが大量に残っているんですが、この場合どうしたらいいですか」
    「あ、えー…中味を出し切った上で、缶に穴をあけてください」
    (あらっ、杓子定規かよっ、と思いつつ)
    「なにぶん殺虫剤なので…、部屋で噴霧するのも危険ですし…」
    「そうですね、屋上などで中味を出し切って、缶に穴をあけてください」
    (屋上かよっ、と思いつつ)
    「え、人のいないところという意味ですね。山の中とか…」
    「屋上などで出し切って、缶に穴をあけてください。屋上ありますか」
    (なんで屋上なんだよ、と思いつつ)
    「はい、ありますけど、いいんですか」
    「人のいない屋上でやってください」
    (屋上限定じゃん、と思いつつ)
    「じゃあそうします。ありがとうございました」

    屋上にこだわっている意味がよくわかりませんでしたが、あとになって思いました。人のいない山や川の近くで劇薬を垂れ流すと、動植物に影響があるな、と。
    そうか、屋上でなら毒物が薄く広く町に降りかかるわけで、人間が作った毒物は人間に還元してこそ真の自己責任が果たせるというわけなのだな、と。
    札幌市役所の職員さんには地球への愛が感じられたのでした。(ウソ)

    というか、なぜ屋上なのかはやっぱり謎です。

    というわけで、札幌にお住まいで、スプレー式殺虫剤の処理に困っている方にお願いです。決してどこかの屋上で噴霧し切るような無謀なことはやめてください。
    他の市町村の処理方法を、どなたか知っていたら教えてください。(泣)