非戦の理念を謳った憲法を支持します

(2007年1月15日記)
日本国憲法の戦争放棄の精神は、人類の究極の理想であります。

この尊敬に値する理念を喪失させることは
人類に対する犯罪でさえあると思います。

戦争利権は強力です。
日本はアメリカの戦争に本格的に加担させられることになります。
正当であろうがなかろうが殺人に加担してはいけないし
戦争の恩恵を受けたり、戦争で利益を上げるのは最低なこと。

日本は憲法を無視し、大義のない戦争を支持し
今もイラクで軍事物資を輸送しています。
マスコミはほとんど報道しませんが
罪のない一般市民が大勢死んでいます。
日本はすでに戦争に加担し、市民を殺し続けています。

日本国憲法がきちんと機能していれば
もっと違う結果になったはずだと私は思っています。
戦争を止める力にさえ成り得たのに
理想無き政治家の判断によって憲法の力を発揮できませんでした。

日本国憲法、特に「前文」「9条」はまだ現存しています。
これを非理性的な既成事実に合わせて改変するのは間違いです。

「名誉にかけ、全力をあげて
この崇高な理想と目的を達成することを誓う」
「戦争を起こさない決意」
「戦力を保持しない」
「国の交戦権を認めない」

これほど明確な条文を持ちながら
平和へのリーダーシップがとれないことに情けなさを感じます。
自分たち日本人一人ひとりの力不足と思います。

現在、段階を踏んで
戦争ができるように憲法を改ざんしていく過程にあり
これにきちんと反対の声を上げなければ止められません。

正しい戦争などありません。
軍隊は暴走します。どんな非道なこともしてしまいます。
日本はすでに過去に経験済みです。
その過ちを繰り返さないために
反省し、自ら選んだ憲法であります。

私は“憲法改正”には反対します。
タガを外せば雪崩を打って戦争へ向かうことでしょう。
いつの間にか戦う理由もすり替わり
洗脳されて狂気の塊となります。
反対の声も上げられない世の中になることも
日本は経験済みです。

戦争を経験した世代が高齢化し
その悲劇が語られなくなりつつあります。
経験者が語れなくなっても、想像力と知識と理想をもって
恒久の平和を念願するのが日本国憲法の精神であり
自分たちのルールです。

軍隊を持たなくても
侵略されない環境を構築するのがこの国の責務だと思います。
そのための努力は世界中から注目され
期待されることでもあります。

こんな素晴らしい憲法を無くすなんてもったいないっ!!
絶対に無くさないで欲しい。
戦争をけしかける国を非難し
反戦・平和のメッセージを発信し続ける
理性ある国でありますように。

★付け足し★

“改正”という言葉は、正しく改めるということなので
例えばそれは、民主主義に反する天皇制の条項を廃止したり、
国民の権利をより明確にするための修正のことを言うのであって
戦争ができるような方向に変えることを改正とは言いません。
“改訂”あるいは“改変”が適当だと私は思います。

私は、他国に侵略されるから軍備を持つという考え方はしません。
侵略されない努力をすべきだと思います。
丸腰の日本に手を出そうとすれば、世界中が黙っていないくらいに
尊敬される国になるような努力を。

大抵はプロパガンダによって洗脳され、
それらしい理由の中、無理矢理戦わされるのです。
今現在がその過程の中にあると思います。

テロリストの報復には原因があり
政治的な努力でかなり解決される性質のものだと思います。
原因であるアメリカはわざと逆撫でして、派手に演出していますが
武力で解決できるものじゃないことは証明されたようなものです。
武力は延々と報復を呼び込むだけです。
勇ましいようでバカな行為だと思います。

脳みそとお金は殺人のために使うもんじゃないです。

以上、私の意思表示です
神成広告研究所・所長

日本国憲法 前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。(1946年11月3日公布)

日本国憲法 第9条
1
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

 

2018年4月16日追記 非戦に限らない憲法の生活への影響

このところの憲法改正の動きで、自民党改正草案では「基本的人権」を丸ごと削除したり、総理大臣に権限を一極集中させる「緊急事態条項」を設けてあったり、国民の自由や権利を制限したり、「権力を縛る」はずが「国民を縛る」ように変質されている。そして「国民主権、基本的人権、平和主義の三つをなくさなければ、本当の自主憲法にならない」とまで明言している。とても信じられない。いつの時代の団体さんだろうか。マスコミも突っ込まない異様さ。

過去の悲惨な歴史で反省すべき「天皇利用」を強め、政教分離の原則まで緩和されている。精神性に偏った非科学的な独裁国家を生みかねない。過去の過ちは繰り返してはならないと思う。宗教は自由だが、政治に持ち込むのは危険だからやめようと決めた、世界共通の原則だ。

これらが露呈したことで現在の日本国憲法の大事さをとても強く感じている。戦争で儲かる人、人件費を抑えたい財界、それに癒着する人たちにとって、日本国憲法が邪魔になっている。そういう人たちが政治の中枢にいるから、私利私欲のために憲法を軽視し、社会がブラック化している。言葉遣いでごまかして戦闘に参加までしている。弱者には人権がないかのごとく、いじめのような政策が進められている。その分、財界が空前の利益を上げている。

それでも憲法はまだまだ歯止めになっている。ちゃんした人を選挙で選ぼう。ウソつきは見破る目を持つ努力をしよう。
公共機関も人命に関わるウソをつくこともある。自分の頭で考えよう。

戦争はイヤ、人命が最優先、何があっても殺人はダメ。これが最低限の基準だと思う。日本国憲法を変質させてはならない。戦争への道を進んではならない。



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