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  • v336 人参地獄-2

    ■人参地獄-2

    ニンジン

    ニンジンの人口爆発により、地球がピンチなのです。仕方ないので、新たに畝を作ることにしました。それも草でボーボーのエリアを、もちろん手作業で。

    7月15日(日)、朝からずっと雨でしたが、3時くらいから予報になかった「晴れ」となり、急遽向かったのです。

    新たな畝に

    ↑ ここに作ります。草を抜きました。荒れ狂ったゴリラのように(ゴリラさんごめん)、木のような根の強い植物も力づくで引き抜いて、ブーーーンとぶん投げます。10本も引き抜き投げるとフラフラになりました。30分かかり、足も手もガクガクになりました。足が重くヨタヨタして、動けない状態になり、完全にエネルギー切れとなりました。写真で見るとたったこれだけなんですけどね。

    それからヨレヨレになりながら、2時間ばかりかけて3メートルほどの畝を4本作りました。ここにEM菌を撒いてこの日は終了。
    夜になって痛み止めの湿布薬6枚をペタペタ貼り、「いてててて」「いてててて」と呻きながら寝たのでした。

    翌7月16日(月・祝)、朝、起きるのがしんどい。「いててて」「いててて」と呻きながら寝返り。珍しく強い陽射しの朝。ここのところずっと気温10〜20度前後と肌寒かったので、いよいよ暑くなるなと思いました。
    気温が上がる前の、なるべく早い時間の方が熱中症にはなりにくい。体に鞭打ってでもやるべき。7時少し前に起床。

    8時頃に畑に到着。手早くニンジン200本ほどを移植。4本の畝が1時間強でいっぱいになってしまいました。しかもやや株間が狭い。
    「移植場所が足りないっ」
    多分、救わねばならないニンジンはまだ400〜500本はある。30メートルの畝が1本欲しいところ。それでも東京の人口密度から札幌の人口密度くらいになる程度であって、北見の人口密度程度にまでゆったりさせるには、100メートル程の畝1本が必要。地獄の肉体労働による自分の死を取るか、ニンジンの死を取るか、という究極の選択を迫られているのです。

    ニン口問題(ニンジンの密集問題)はまだまだ解決しません。

    この日、移植先がなくなり困っている間に、気温は36度になっていて、熱中症の危険を感じ、さっさと引き上げました。

     

    さて、前日の夜、そんなに暑くもない、むしろ肌寒いくらいの夏の花火大会がありました。北見の少し郊外のあちこちの道路は、路上駐車でいっぱいで、みなさん花火を楽しんでいました。私も花火見たさに郊外へ車を走らせました。パトロールカーが神経質にパトロールしていました。

    今回はその写真で締めます。

    花火大会の路上駐車
    これは花火ではありません。花火が車体に写り込んでいる、路上駐車の列です。

    花火

    花火

    花火

    花火

    花火大会が終わってから車を出したら、渋滞に巻き込まれると思い、少し早めに帰路につきました。最後の写真は通りかかった本屋さんのコーチャンフォーの駐車場から撮りました。数100台止まれる広い駐車場が車でいっぱいで、その周辺の道路も路上駐車でいっぱいでした。

    後で調べたら打ち上げる花火の数は4000発だそうです。
    おしまい。


  • v335 人参地獄

    ■人参地獄

    ニンジン

    ここの土地は地中20センチくらいから支柱が刺さらないほど強烈に固いのです。しかし昨年、ナオヒロくんは大根もニンジンもよくできていました。しかし固い地面では地中深くまでは伸びませんので、固い地盤を深く掘っていました。

    「そうだ、短いタイプのニンジンを作ってみよう」と私は思いました。

    ということで、深さ10センチ程度の「時なし三寸」と、ほぼ丸い形になる「パックン丸」というニンジンの種をネットで買いました。どちらも固定種なので割高であるし、種の数が少ないだろうと思って3袋・2袋の計5袋を買いました。
    ナオヒロくんのコネにより農業機械で耕したエリアの一部6m×15mほどを、菊芋とズッキーニを植えたいことから、分けてもらっていて、その範囲内にニンジンも仕込んでしまおうと思ったのでした。

    ニンジン
    4本の畝にニンジン。その右の支柱が立っているのはズッキーニの種を植えたところ。

    6月6日(水)に畑へ行き、ニンジンの種の袋を開けました。
    「ヤバい」
    うんざりするほど種が入っています。
    「マジか」
    仕方なく、とりあえず細い畝を立てつつ(土を寄せるだけ)、種が余ってしまうので、濃密に2畝にスジ蒔きしました。
    「ダメだ、余る」
    そしてちょっと広い畝を作り、濃密にバラマキました。

    まだ余るのでもう1本畝立てして、4本の不揃いの畝が完成しました。パチパチパチパチ。

    その後、このニンジンの広い畝に、「どうせ全部は発芽しないだろう」と、飛び飛びに菊芋を移植しました。菊芋は全て生きています。

    この日はこの場所で36度まで気温が上がり、熱中症ギリギリの状態で頭痛が少ししました。しかしその後はずっと天気が悪く、晴れず、寒い日が続きます。

    人参と菊芋

    これは6月29日(金)の写真になります。青い矢印がニンジンの畝に植えた菊芋。あの芽欠き手術で救った菊芋たちです。で、状態はと言うと、これ、ニンジンがドカドカ芽を出しています。超密集エリアがたくさんあり、このままでは間引きしてやらないと悲惨なニンジンになりそうでした。

    「仕方がない、やるか」

    間引いたニンジンを移植する。
    「ワダス、すっぱいすないので」(私、失敗しないので)

    いわゆる雑草も同時に伸びていましたので、それを抜きながら、密集ニンジンをガバッとスコップですくい上げ、やや空いている場所にどんどん移植していきました。かなり細かいのでピンセットも活用しました。ずっと寒い気温なので、助手に汗を拭いてもらうこともなく、早朝の2時間、集中してニンジンたちを救い出していきました。

    密集するニンジンと、育ちつつある菊芋。 7/9
    ヘナヘナになっている移植ニンジン 6/29
    新たに1本、無理矢理作ったニンジンのスペース 7/10

    えー、何日もかけて、早朝の1〜2時間を、ニンジンの移植オペをしました。それでもまだ密集は解消されていません。うんざりするほど芽が出ています。間引いてポイっと捨ててしまえば良いのですが、それは何というか、ニンジンの叫びが聞こえてくるわけであり、大きく育つ可能性を見捨てるわけであり、いや、単にもったいないので可能な限り救いたいのでありました。そうしてまた人間の欲望が常軌を逸することになるわけであります。

    ニンジン
    7月12日(木)のNEWニンジンスペース。すっかり定着。みんな死んでいない。
    ニンジン
    7月12日(木)。密集地隊の一部。こんな感じにほぼ同じところから2本の芽が出ている場合が非常に難しい。1本をうまく引き抜き移植し、両者ともに生かす。
    ニンジン
    そうしてかなり救済して、それでもこれだけ残っている細い1本の畝。7/13(金)

    うーん。どんだけ手間ヒマかけるのか。
    それでもこの日の時点でまだ広い畝は下の写真のような状況で、一部シャベルで根こそぎ持ち上げるだけで10本ほどのニンジンが植え替えてくれー、と泣くのでした。しかし救い出してもニンジンを移植する場所がなくなっているのでした。

    ニンジンと菊芋
    7/13(金)

    7月14日(土)は人間だって休みたいと、完全休息をとりました。
    そして15日(日)に半日かけて一気の救済を計画するも朝から土砂降りの雨にて中止。

    「昨日休んでいる場合じゃなかったな」(苦笑)

    低温が続く日々とはいえ、ニンジンは確実に成長していきます。一体どうなってしまうのかっ。

    放置はニンジンベイベーにしてみれば養分の取り合い地獄、1本1本移植オペを続けるのは私にとっての地獄。
    こっ、これはっ、人参地獄なのであります。

    続く


  • v334 アイヌ文化フェス その2

    ■アイヌ文化フェスティバル その2

    トンコリ
    トンコリの演奏

    前回からの続きです。

    小難しくも面白かった講演が終わり、休憩で気分転換し、スッキリしたところでアイヌ伝統楽器の演奏が始まりました。トンコリという楽器で、とにかく何の予備知識もないため、後で調べて「へー」が加わるわけですが、これ、最初に出た音を聞いて「ええ音やなー」と思ったのでした。

    腹にくるというか、地面から響いてくるというか、そう思うの自分だけかな、とにかくそれが3人で演奏しているので重層的にくるわけです。ただ、サビとか転調とかなくて、単調です。
    いやいや、あのー「ええ音」なんですよ、「ええ音」なのですが、単調に続くところがまた眠りを誘うわけです。スッキリしてたので眠りませんでしたけど。あ、単調なのが悪いっていうことじゃないですよ。汗汗。

    でもこの音聞きながら寝たら深い眠りに入れそうです。心地よい音であります。

    で「へー」の部分は、この楽器にはフレットがなく、弦を指でおしつけて音を変えることはしないんだそうで、基本的に弦の数(5本)の5音であるようです。ハープ的な感じ。

    web検索して聴いたトンコリの演奏は、どれも軽い音に感じました。生で聴いた音の方がズッシリして、暖かい音でした。曲にもよるのかな。音響環境かな。

    その後、ムックリの演奏もありました。音楽というよりは効果音のようでした。誰かが何か失敗した時に流れる効果音。
    ポヨヨーーン とか
    ビヨヨヨヨーン とか
    ポンヨヨヨーーン とか こらこら。

    ムックリ
    本体の竹の中に切り込んである細い方が本体から離れていて、ヒモを強く引くことで振動し音を出す。手を頰に当てて口の中の空間と共鳴させる。注意しないと唇を切ってしまうこともあるという。

    これ、人によって出てくる音が違うというのが面白いところで、ビヨーンボヨーンビヨヨーン的な軽めの音だけかと思っていたら、ベースのベンベン・・、デゥンデゥン・・、みたいな低くてキレのいい音も出ます。
    これ、実用的に使われていたのかなぁ。自分がいる場所を知らせるとか、クマよけとか。

    もしかしたら、ムックリは目覚ましなのかも知れません。ビヨーンビヨーンと鳴らしたら、ムックリと起きるという。
    えへ。
    山歩きでビヨヨーンと鳴らしていたら、クマがムックリと現れるとか。 やめなさいっ。

    あ、一応ムックリの解説。
    ムックリは、アイヌ民族に伝わる竹製の楽器。口琴と呼ばれる楽器の一種。製の薄い板(弁)に紐がついており、この紐を引っ張る事で弁を震動させて音を出し、これを口腔に共鳴させる。音程はほとんど一つの音高から変わらないが、口の形を変えることにより共鳴する倍音フォルマントを変化させて音楽表現とする。(WiKipediaより)

    ビヨヨーン、ボヨヨーーン、ベンベンベーン、ビヨンビヨンボヨン、ビヨヨヨヨーン。
    です。

    紙芝居的な

    えー続きまして、口承文芸っていうんですかね、アイヌには文字がなく、文化の継承がむずいんですね。言葉を伝承していかないとわからなくなってしまう。これ、紙芝居的なやつなんですが、一定のリズムで語っていきます。

    「ん、んん、あお、しねあん、と、た」 とか
    「ん、んん、あお、ぼくなしり、えん」 とか

    聞かないとわからないですね、それにこんなにハッキリした言葉じゃないので、日本語では表現できません。
    自分の耳には「んわ、ふわふわふー、◎△◇☆・・・」と聞こえてました。「んわ、ふわふわふー」が印象に残り、ずっと頭に残っています。一定のリズムで歌っているかのようでした。(写真の右下の人=伝承者が語っています)

    まず最初に、日本語で全ストーリーの説明があります。そして伝承者がアイヌ語で語りながら、そのシーンがスクリーンに動画で映し出されていきます。動く紙芝居ですね。この最初のストーリー説明の時、私は何かに気を取られていて、全く耳に入っていませんでした。そして始まってから、困ってしまいました。「クモの女神」というタイトルの物語です。

    日本語のタイトルがあってよかった。しかし以後、日本語訳はなかった。

    あとは「ふわふわふー、◎△◇☆・・・」と不思議なリズムで語られていきますが・・・。

    私の心の声。
    「このおじさん、何でこんなに顔小さいの?」
    「うわ、殺しとるやん」
    「え、なに、この地獄絵図はどういうこと?」
    「日本語説明はないんだな」(もうしちゃってるからね)
    「なんだろう、アイヌ語はわからないし、やっちまったな」

    まあ、しかし、要は言葉の「音」ですから、ああ、こういう外国語のようなのね、ということがわかれば良いのだと思います。
    ストーリー的には、悪い奴が地獄の底に追いやられる話です。(ザックリ過ぎ?)

    その後も、

    歌ったり

    踊ったり・・・。衣装は綺麗で面白い模様です。

    ・・・

    さて、ほぼ来場者全員にプレゼントされた楽器「ムックリ」ですが、ついにその時がやってまいりました。

    「みなさん、手元にムックリがありますね」
    「出してみてください。このヒモを左手の小指にかけて、しっかり固定します、できましたか」
    「で、いきなり音を出すのは難しいですから、まずは右手のヒモを・・・」
    「こんな感じで引っ張ってみてください」
    「どうですか、え? 音出ました? すごいですね、初めてですか、それはすごい」
    「ちょっと、音が出たっていう方は手をあげてください」

    私は、音が確実に出せる、と思いました。が、音を出すと大変なことになる、とも思いました。音が出ない事にしよう。と。

    「音が出たという方、ぜひステージに上がってですね・・・」
    (ほらほらきたよきたよ、あぶねー)

    何人か素人さんが生贄に捧げられていましたよ。

    前回の終わりに「ちょっとした勘が働いた」と書きましたが、予感があったのです。
    あの学術的DNA解析の講演を聞きながら、何の予兆もなく「これは参加型イベントかもしれない」と察したのです。
    かなりの予知力と言えるのではないでしょうか。(笑)
    そして前の席は危険なので「ここはダメだ」とつぶやき、通路から遠い会場のほぼど真ん中に移動したのです。

    ステージに上がるお客さんは、ムックリの時だけじゃありませんでした。

    「アイヌの踊りを皆さんもステージに上がって、一緒に踊りましょう」
    「簡単ですよ、誰でも踊れますーーーっ」

    なんかもうゾロゾロと上がっていくわけですよ、素人さんや、外人さんも。
    「えーーーーっ!! さ、サクラじゃないだろうな・・・」

    お客さんたちが踊っています。(ガクブル)

    さらにアイヌのゲームまで、皆さん和気あいあいとステージに上がって楽しんでいました。

    苦手だわー。(笑)
    ま、自分から上がらなきゃいいだけの話ですけどね。
    見てる分には楽しいイベントでした。

    ということでアイヌ文化に少しは興味が湧いたでしょうか。
    北海道の地名はほぼアイヌ語で、文字がないため漢字を当てたものです。ひどい当て字も多いのですが、後から全く関係ない和人の日本語を当てた地名などは何と薄っぺらいことか、とも思えるし、ともかくこちらのベース(土地)はアイヌ抜きには語れない。アイヌの土地を二束三文で買い叩いたとかヒデー話も聞きましたが、我々和人が侵略者なんすよね。

    ごくたまに、部屋でムックリを鳴らしていますが、特に楽しくもつまらなくもないです。
    ああ、音が出るなぁ、という感覚です。何かの時に役に立つかな。


  • v333 アイヌ文化フェス その1

    ■アイヌ文化フェスティバル

    アイヌ

    6月16日(日)、網走市のオホーツク・文化センターで「アイヌ文化フェスティバル」をやるよ、のチラシを見ました。

    「ご来場の皆様に先着でアイヌ伝統楽器「ムックリ」をプレゼント」と書いてありました。
    楽器がタダでもらえちゃうなんてね。行く気がムックリと起きました。

    ただ、それほど強い興味もなく、その日は久々に晴れたし、早朝から畑へ向かいました。菊芋を新たに9か所にぶっ込んだ日です。EM培養液を撒きまくって、4時間ばかり作業をして、筋肉が悲鳴をあげて終了。その時間が、文化フェスティバル開始の1時間半前。網走までは45km、車で1時間。せっかくだから行ってみることにしました。

    会場へ行くと280台は止められる駐車場がほぼいっぱいで、2か所空いていてかろうじてセーフ。何でこんなに来てるのと素直に思った次第です。さてはムックリ狙いか。(笑)

    開演10分前、ステージ会場への入り口でエコバッグを渡されました。中には公演のパンフと「国立アイヌ民族博物館2020年4月オープン」のリーフレットと「ムックリ」が入っていました。

    アイヌ
    「イランカラプテ」はアイヌ語で「こんにちは」。

    「ムックリゲット」

    ゲットしてから「ムックリって何?」というくらいよく知らないのでした。
    さて、まずは開催の挨拶。公益財団法人アイヌ民族何ちゃらの理事長など、が5〜10分ほど挨拶し、早速「基調講演」と題する篠田謙一博士による「DNAが明らかにする日本列島集団の成立史」の公演が始まりました。

    完全に学術的な講演で、実はこれが一番興味深かったのです。

    「日本人はどこからきたのか、アイヌ民族は、とやる前に、どうしても人類の成り立ちからやらないといけません」
    「ここ20〜30年で飛躍的に発展したDNA解析ですが、多くのサンプルを解析することにより・・・」
    「染色体のXとYの、男性(父)を決定づけるY染色体、そして女性(母)を追跡できるミトコンドリアDNAが・・・」
    「コピーされる時に起こるエラーが0.02%ほどあり、このUCCACCCGAUCC・・・といった配置を調査し、遺伝情報を比較することにより・・・」

    うーん、ぐー、はっ、・・・ぐーぐー。(眠りをこらえているが寝てしまう)

    「人類の発生は約20万年前のアフリカと推定され、6万年から7万年前にアフリカを出て3つの原人が・・・」
    「もう現代人とほとんど変わらないわけです・・・」

    んー、かくっ、ぐー、はっ、ぷるぷる、んー、ぐーぐー。

    いやいや、これね、すごく面白いのです。なんで寝るのかって? 考えてもみてください。早起きし、早朝から4時間びっちり畑仕事をやり、筋肉が悲鳴をあげ、コンビニ弁当で腹を満たし、1時間運転し、照明を落とした暗い会場でDNA解析の原理を15分聞いてみたらわかります、誰でも寝ますから。

    しかしですね、これ1時間強講演してましたが、よく頑張って聞いたんです。面白かったから。
    でも肝心なところを聞き逃すなど、あんまりここで適当なことは書けませんが、「DNA解析と調査によって、縄文人が進化して弥生人になったという過去の定説は完全にくつがえった」と言ってました。日本は単一民族とは言い切れない、実はもっと複雑だと。

    断片的記憶では、利尻島の縦穴式住居跡で発掘された人のDNAだったかな、興味深いことに、世界の中に類似のものがなく、特殊な位置に存在、日本に入ってきた以外のこの同種の人種は世界のどこかで滅んだのではないか・・・、とか。

    オホーツク海沿岸には、オホーツク人と呼ばれる人種の文化圏というか、遺跡がかなり広いエリアにあり、これがアイヌ文化とは別物で人種的にも謎が多いのです。そして消えてしまった。ちゃんと調べるとこれは深いです。多分。

    ここで一旦脇道に逸れます。

    「DNA・・・成立史」の公演を聞いてから10日後の6月26日、私が個人的にブックマークしてある「英語の翻訳家」のサイトの読み物を久々に見てみたところ、実にまあ類似の、非常に興味深いお話がありました。6月7日のものでした。

    それはアメリカとスイスの学者の発表で、10万種以上の生物種のDNAと、アメリカ政府の遺伝子データバンクにある500万以上のDNAの断片を、徹底的に調査した結果、ダーウィンの進化論を科学的に完全に否定してしまうものだった、という内容でした。DNA解析により、進化論が成り立たなくなったというお話。

    今いる生物の9割は少なくとも10〜20万年前には、ほぼ同時に全て新種として発生し、現在までどの生物も進化してきてはいないんだそうです。そういえば人間も発生したとされる時期から変わってないと講演で言っていました。
    「生物種には非常に明確な遺伝的境界があり、2つの間に位置する中間種は何もなかった」
    進化の過程とされる中間種は存在していないという衝撃。

    読み進みながら呟きました。「おいマジかよ」と。キリンの首が長くなったじゃん、あれはどういうことなの?
    試しに調べると、その中間種の化石は出ていないそうです。科学的な裏付けはないのでした。

    いや断定はできないか、ちゃんと調べないとわからんなー。
    でもこんな研究所通信ごときが、マジメに語ってもしょうがないわ。疲れるからこんなところで終わらそう。

    一応、元記事はAFP通信社(Associated Press)という、世界的な通信網を持つアメリカの大手通信社の特報記事でした。そして衝撃というか笑撃というか、これ海外では報じられてはいるものの、日本ではほとんど報じられていないんですね。(日本のAFPが、要旨を日本語翻訳されていますが、大変な発見であることがわかりにくかった)
    科学雑誌すら取り上げていないようです。根本的なことだから結構大事だと思うんですが、翻訳家も「定説を動かさない力」が強く働いているのかな、てなことを呟いておりました。なんとなくこの国は非科学的な方向へ向かっているなと感じるのでした。

    さて脇道から元の道に戻ります。
    アイヌ文化フェスティバルは長い公演のあと、20分ほどの休憩となり、ほぼ最前列の席からほぼ真ん中の席へ移動しました。ちょっとした勘が働いたのです。楽器の演奏が始まりました。

    トンコリの演奏
    DNAの講演の時は写真を撮っていいのかわからず、この時になってあちこちでシャッター音がしたため、安心して撮りました。だから講演の写真はありません。いくつか資料で撮っておきたかった・・・。

    トンコリっていう楽器らしいです。
    続く。


  • v332 どうなる菊芋 その2(移植手術)

    ■どうなる菊芋 その2(移植手術)

    バッタ
    畑にいた小さいバッタ。キレイな黄緑。6/16

    恐怖のアリ塚と化してしまった菊芋を植えた2個所とその周辺に、ずいぶん前に購入した「ワサビとニンニク入りの木酢液」(忌避剤)を高濃度にして蒔きました。(この特殊な木酢液もなかなか貴重なものと思います。数年前に気になって丸瀬布の道の駅で買いました)
    その後、アリがよりひどい方のひとつだけ、菊芋を別の場所に移植しました。

    そして2日後に見てみると、何とアリがいなくなっていたのです。なかなか凶暴な連中ですので、これはすごい。木酢液なので、殺虫剤とは違います。アリを殺すことなく、他所へ行ってもらえたわけです。

    さて、菊芋に関しては、何としても多くの収穫を目指したいので、「芽欠き」もしておこうと思いました。ジャガイモの場合、芽欠きをすることで大粒になるとか何とか、それと同じだろうと、漠然と思っただけです。(ひょっとしたら違うかも、葉が多いほど養分を葉から送るかも)

    1か所から複数の芽が出ているところは、1本にしてみようと思いました。

    菊芋の芽

    このように複数の芽が出ています。とにかくでかくなる植物なので、元気なやつ1本にするのです。それ以外は引っこ抜いて…うーん…

    もったいないだろ。何か方法はないのかっ。

    もしかして、ひとつの種芋から芽が複数出ている場合、種芋にメスを入れ、カットして移植すれば良いのではないだろうか。もし切り傷からバイ菌が入り病気になるなど、失敗したら全滅ということになってしまいますが、先生どうしますか。

    「私、失敗しないので」

    はいはい、わっかりました。
    ということで、6月19日(火)にオペを開始しました。

    移植手術

    左上をご覧ください。
    ここには4本芽が出ています。多分ここは種芋を2個入れてあり、上1つと、下3つに分かれているはずです。下の3つのうちの上の2つがやや弱々しい。

    そこで右上の写真。
    少し土を掘り、土を退けてから、弱々しい2つと大きな芽の間に果物ナイフでサクッと切り込みました。分断の手応え。

    左下をご覧ください。
    そこに外側からシャベルを深く差し込み、グイッと起こすと…

    右下の写真ですね、
    キレイに芋付きの芽が取れました。今思えば、これがビギナーズラックだったのかもしれません。

    両端が結構離れているのでその2本は残し、中の2本を急いで別のところに移植するのですが、約50m離れたところに移植します。走る。走る。ゼイゼイ。穴掘る。EM水撒く。植える。土を被せて、またEM水をかける。

    菊芋

    2人救済。(写真はそのひとつ)
    これをやったら時間が来てしまいました。実は早朝にやっているので、9時には職場に戻らないといけません。結局この日はアリに占拠された菊芋1人と、移植が2人で、3人救済しました。

    それから雨などで行けず、3日後に移植手術に出かけました。

    「クランケはこれけ?」

    菊芋
    6月22日、手術再開

    ひとつの芋のかなり近い部分から2つの芽が出ています。これを芋ごと分断し、片方を別の場所へ移植します。

    菊芋

    少し土を払って、まあこんなもんだろう、と安易に切り込みます。クイっと持ち上げてみると、なんということでしょう、芋本体がなく、芽の出たところからスパッと切れていました。

    「おーまいがーおーまいがー」

    自分で埋めたのに、思ってた以上に深く、芋に届いていなかったのです。

    「先生、早く処置しないと、クランケが死んでしまいます」
    「あたふたあたふた」

    初球から2塁へ盗塁するかのごとく、超絶な俊足を飛ばして、ヤバくなっている患者さんを50メートル先の畑へと、水のたっぷり入った10リットルジョウロも持って移動し、瞬時に切断部分を地面と接合し、EM水をかけました。

    菊芋

    あとは本人の体力と気力と奇跡のEM菌に期待するしかありません。

    何事なかったかのように次のクランケへと急ぎました。
    次のやつは4本の芽が出ていました。これです。

    菊芋

    1本がかなり小さいです。右に少し離れて生えているのはヨモギです。
    さっきの菊芋で殺人先生のようになっているので、今度は慎重に行います。芋の位置を確実に把握するために芋が出てくるまで掘りました。よく芽が出たなというくらい、かなり深くにぶっこんでいました。

    掘っても掘っても出てこないので、でかいスコップでうんと下からグイッと持ち上げました。

    菊芋

    左上…スコップをザクッと入れ、下から掘り起こす。
    右上…芋ごと持ち上げ、ナイフで大きな芽1本と残り3本に分断(持っているのは大きな芽)
    左下…3本をきれいにスライスして移植の準備
    右下…1本は元に植え戻し

    そしてこの後も重たいジョウロと患者たちを抱えて50メートル、盗人のように走り、菓子職人のように土にデコレーションしました。

    菊芋

    緑の矢印は前回移植した2人、黄色と赤が今回の5人、赤は写真の外側なので見えていない。
    このウネにはニンジンの種を蒔いていますが、芽が出ないかもしれないし、まあいいやと、混植です。

    この後、もうひとつ、5本の芽を分断し移植しました。その様子は文字で。

    「おお、ここは5人も出ているぞ」
    「1人がかなり小さいな、くりっと回して抜いてみようかな、ポロッ  あっ」(1人危篤)
    「ヤベー」
    「ふー、これまた厄介だな。芋本体からやけに細く伸びている」
    「触っているだけで芽が芋本体から分離されてしまいそうだ、ポロッ  あっ」(1人危篤)
    「いかんな、まずこれ2人を救わねば」
    「いや、そしたら2往復走らないといかんぞ、200メートル走はきついぞ。私が死ぬわ」
    「緊急事態だ。こうなったら、近くに移植だ」

    ということで10メートル程度離れた場所に移植しました。

    菊芋

    EM水をたっぷり使いながら、危篤の2人を移植。残った3人のうち2人を、やはりその近くに移植。
    やがて畑にのどかな平和な空気が戻ってきました。

    まだ多くの菊芋の芽が出ていなかったりしますが、結局移植した本数は12本。全部が生存してくれたら「名医」の仲間入りですね。

    それらを含む全体の菊芋の数は、何と34人となりました。全員が元気に育ってくれたらいいですね。
    大丈夫、菊芋の生命力はかなり強いはずですから。

    ・・・

    さて、手術から5日。移植した12人は、何と全員生存していました。(ヤッホー)
    明日からブラックジャックと呼ばれても驚きません。