• v045 高速バスと高速道路

    ■高速バスと高速道路

    長距離高速バスの運転席
    長距離高速バスの運転席

    北海道名物のひとつである「直線道路」は、ところによってはまるで滑走路のようです。15年ほど前に帰省した時、普段ほとんど乗らない車を運転することになりました。その道は交通量がほとんどなく、ところどころに長い直線があります。周囲は畑やら荒れ地やらで、広くて圧迫感がないのでスピード感が麻痺してついつい制限速度(60km/h)を越えてしまいます。

    それでも久々の運転ですし、軽自動車なので100km/hを出すと車体が振動し、ちょっと気持ち悪いため80km/hくらいで走っていました。(ギリギリセーフですかね)

    その時のこと、うしろにポツンと見えていた乗用車がみるみるうちに近づいて、あっという間に私の車を抜き去っていきました。一瞬でしたがその車の助手席には“ネギや大根が入った買い物袋”が見え、その奥で運転していた人が普通のオバサンだったのです。それはまたあっという間に点になり視界から消えました。

    「えーっ、おいおいおばさんかよっ、何だよ今のスピードはよーっ」

    日常の買い物の帰りだったんでしょう。自転車のカゴに買い物袋を入れて帰るような感覚で、時速120キロを軽く越えるようなスピードで抜いていったわけです。おばさんターボ。買い物ドリフト。シケインで80キロ。みたいな。

    そう言えば昔(30年くらい前か)、高速道路は北海道には必要がない、という話をしていたような記憶があります。なぜなら一般道が高速道路と変わらないからでした。完全に違法ですが、それを捕まえる警察はせこい、程度に思っていました。

    先週また高速バスを利用しました。(昨日ですけど)
    たまたまうしろに座った2人のサラリーマン(上司と部下)客のおしゃべりが聞こえてきました。

    「何時間かかるんだ」
    「5時間半ですかね」
    「んー、まあ、早いよな」
    「そうですね、高速が出来たのはやっぱ大きいですよ」
    「ビールでも飲んで寝ていくか」(カシュッという音2つ)
    「トイレも付いてますよ」
    「悪くないなぁ、ガッハッハッ」(ガッハッハッ、は脚色)

    そうなんです。高速道路は非常に重宝がられているんです。時速120キロも140キロも出して走るのは飽くまで個人の乗用車であり、バスという公共の交通車両はどうやっても交通ルールは守らねばならないわけです。それを時速60キロ程度でちんたら走っていては長距離バスを利用する気にはなれません。

    JR鉄道が次々と赤字線を切り捨て、客の多い幹線を中心に快適さを売りにしているために運賃が安くならない中、この高速バスはJRよりも格段に安く、スピードもほとんど変わらないか、むしろ早く目的地に到着します。(雪の日はちょっと厳しいですが)

    北海道において高速道路の需要はかなり高いものであることを実感しています。

    ・・・

    余計な話。

    将来高速料金を無料にすると言われていた時期がありましたね。でも道路公団は赤字体質で、なおかつ天下りの退職金などに大金が消えていき、けしからんということで道路公団は「民営化」されてしまいました。しかし道路公団は赤字ではなかったようです。

    毎年1兆円の黒字があり、将来「一斉無料解放」するための積立金が13兆円もたまっていたそうです。

    難しい話なので平易に書きますが、もともと国からの50兆円ばかりの高速道路建設の借入金があり、これを返済するための積立をしていて、30~40年後に相殺する形で「全国の高速道路を一斉無料解放する予定」であったようです。この毎年積み立てていたお金が「赤字」であると解釈されたわけです。

    民営化などしなくても、天下りなどをやめさせ、無駄な使い方をやめさせれば、もっと早く無料化できたと思われます。

    民営化で少しは料金は安くなるかも知れません。サービスも良くなるでしょう。しかし無料化されることは「永久に」なくなりました。毎年の黒字の1兆円は株主に配当される。そこに外資の影がつきまといます。郵政も同じく黒字でした。その株主が気になります。どうでもいいことかも知れませんが、個人的にはムカつく話なので書いておきます。

    気になる方は勝手に調べてください。


  • v044 絶叫マシン

    ■絶叫マシン

    札幌

    様々な問題を次々に起こすドンキと言えば、あれですね。
    ドンキーコングでもない、びっくりドンキーでもない、そう、ドンキホーテですね。六本木のビルの屋上に絶叫マシンを作ろうとして、住民の反対にあって撤去した事件は記憶に新しいです。

    さて、札幌ススキノにあるビルの屋上にでっかい観覧車ができました。絶叫マシンのような騒音はないものの、夜中にカラフルなネオンがチッカチッカしてるのを見ると、やってることはドンキとあまり変わらないと思うのですが、苦情が出たという話も聞かず、テレビでも否定的な意見はなく、むしろみんな喜んでいるようです。

    札幌に高層マンションが乱立していることから、景観や日照権やビル風などが問題となり、札幌市によって建物の高さ制限がなされたのは最近の話です。碁盤の目にきっちり区画整理された都市ですから、特に景観には敏感なのだなと思っていました。そこに現れたチッカチッカの観覧車。

    うちのマンションから見えるんです。昨年から建築されていくアーチ状のものを日々見ておりました。何だろうと思いながら。それがだんだん観覧車だということがわかってきて思ったものです。
    「ドンキじゃないのか。ありゃあ問題になるぞ」と。

    ところが何の障害もなくあっという間に出来てしまいました。(5月3日営業開始)
    そして市や市民に簡単に受け入れられてしまいました。不況の札幌(北海道)において経済効果が見込めると踏んだのか、景観を壊していないと判断したのかは分かりません。

    できてしまったものはしょうがない。

    実は私はかなりの高所恐怖症なため、観覧車には乗りたいとは思わないのですが、高いところが恐くないという人が「話題作りに」と誘うのでシブシブ乗ってみることにしました。と言ってもやはり恐さで景色を楽しめるとは思えません。そこで多少の「恐怖を緩和するお薬」を飲んでから乗ることにしました。

    5月9日の夜、米だけでできた透明の液体で、子供には理解しにくい味のする「お薬」を飲み、気を大きくして現場へ向かいました。

    それは、「NORUBESA」(ノルベサ=乗るべさ)と言う決して面白くないただのダジャレでつけた名前のビルに、「NORIA」(ノリア)と言うダジャレにもなってない名前の観覧車。

    このNORUBESAビルは地上7階、地下1階の娯楽の複合施設になっています。屋上に設置された観覧車は地上78mの高さ(東京タワーの下の展望台が150m)に到達します。昼間は天気がよければ石狩湾が見えるとのこと。(距離にして10kmちょいですが…)

    観覧車にはちょっとした話題作りのための細工がありまして、32台のゴンドラのうちひとつだけ色が違っています。31台は赤、No.007の1台だけが黄色の「幸せを呼ぶゴンドラ」(ラッキーイエローワゴン)と呼ばれています。幸せの黄色い何ちゃらからのシャレと、ラッキーセブンとを掛けているのでしょう。もう妙なダジャレだらけでどうにもなりません。

    一周約10分。1人600円とちょっと高い。
    いい具合に 「お薬」が効いてご機嫌で乗り込みました。ゴンドラの色がどうだったかは記憶がありません。

    観覧車が一周して戻ってきた時、私は真っ白な灰になっていました。乗って間もなく「お薬」がサーッと切れていきました。それから恐怖のあまり床に座ってイスの部分に伏せていたので風景は観てません。

    観覧車
    手前下の人は、床に伏せるようにして手すりを握りしめ、
    ピクリとも動かない高所恐怖症患者。

    声を出すと揺れるので静かにしておりました。それでも回っているので少し揺れます。そのたびにひたすら心の中で絶叫しておりました。そしていっしょに乗った“高いところが恐くない人”が激しく揺らしませんようにと祈るのでした。

    静かな静かな絶叫マシンに住民の苦情はなさそうです。


  • v043 春の楽しみ、ふき

    ■春の楽しみ、ふき

    北見・富里ダム
    北見・富里ダム。バンガローがいくつかあります。キャンプもできます。
    ただし水とトイレくらいしかないです。

    前回つくしの話題でしたが、今回は「ふきのとう」の話です。本当は、順番的には「ふきのとう」の方が「つくし」よりずっと先に生えます。順番が逆になったのは場所が違うからです。

    写真は北見市郊外の上仁頃(かみにころ)の奥、富里ダムの周辺です。
    5月5日でしたが、まだ雪が残り、氷が張っていました。北見は寒いです。今年は特に寒かったようで、札幌ではつくしが生えていましたが、北見では影も形もなく、まだ、ふきのとうが育ちつつある頃でした。しかし成長が早くて、一気に出てきます。

    ふきのとう狩り
    黄緑色の葉っぱがふきのとうです。一面に生えていました

    ふきのとうは独特の苦みがあり、お子様は食べると泣くか死にます。(ウソかも)
    大人にはそれなりのうまみが感じられ、春の楽しみのひとつとなっています。飲み屋さんでよく天ぷらで出てきたりします。

    しかしこのふきのとうの「旬」が非常に短い。
    雪がとけてすぐくらいの時期で、土から頭が少し出たつぼみのものが香りが強くうまいのです。成長して花(?)が咲いてしまうとあまり良くありません。本当にすぐ成長しますので、つぼみのふきのとうは貴重なものです。

    またしても収穫し、食べます。

    ↑開いているのは採りません。   またまた大漁にゲットです。↑

     

    さて、このふきのとうは天ぷらにしたり、つぼみごとも細切れにして油で炒めて砂糖とミソであえたり(フキミソ)すると、いい酒の肴になったりします。

    さてさて、このふきのとうは「ふきの親」であります。ふきのとうは成長しても「ふき」にはならず、ふきのとうの生えている根のところから、あの「ふき」が生えてきます。

    ↑ふきのとうの根元からふきが生えます。 ふきは茎だけを採取し、葉は捨てます。↑

     

    まだふきはほとんどなく、あっても出たばかりで小さいものでした。しかし、この時期の、この小さなふきがまたうまーーいのです。
    葉っぱは捨てていくので、ふきを採ったあとの現場は、さしずめ「ふきのとうの子だけ大量虐殺した現場」のようになります。人間は何てひどいことをしやがる、みたいになります。でも気にせず収穫し、感謝しながらおいしく食べましょう。

    ↑まだ時期が早いのでこれしか採れませんでした。 茹でてから皮をむきます。↑

     

    このさっと茹でて皮をむいた「ふき」を水にさらし、ミソをつけて2時間くらい置くといわゆるミソ漬けになります。シャキシャキしてうまいです。ふきには薬効もあるらしいですよ。科学的な根拠は怪しいものですが。
    みそ汁の具にしてもおいしいです。あまりに茎の赤いものはマズいですよ。

    ↑忍び寄る白い影。 皮をむくとこんな感じになります。↑

     

    ↑ミソにつけて置きます。 適当な大きさに切って食べます。↑

     

    ふきのとうも、ふきも、ミソとの相性が抜群です。この春はぜひお試しください。ってあんた内地じゃもう30度だってよっ。
    次はそろそろ桜の季節ですね。ってもう散ってる頃ね。日本ってほんっっとに縦に長いですね。


  • v042 つくしの季節、つくしを食らう

    ■つくしの季節、つくしを食らう

    つくし

    つくしが食べ物であることを知ったのはちょうど1年前、空き地や公園でつくしがたくさん生えているのを見て、妻が言った「衝撃のひと言」でした。

    「食えるのにもったいない…」

    そこまで貧乏に育てた覚えはないっ、と思いつつ、つくしが食えるということについては半ばデタラメであろうと思いました。食って食えない事はない、という程度のことであろう、と。
    で、つくしを手で触ってみた時、カサカサしてやっぱり食いもんじゃないと思ったのでした。どう見ても美味しくなさそうです。毒キノコをカサカサにしたような、マズそうなつくし。タンポポのクキの方がまだおいしそうに見えるつくし。

    「こんなものは食えんよ、へーらへーら」

    よほど悔しかったのか、 その後、つくしの料理を妻の実家から送ってもらうことになりました。去年の話ですよ。
    やや黒っぽくなったそれは確かにつくしの形をしておりました。そして恐る恐る食べてみたところ、これがごはんのおかずにぴったりの、実にうまい「食べ物」であったのです。

    北海道ではつくしは食べ物と認識されてはおりません。だからつくしは生え放題で、あっちこっちにいっぱいあります。札幌と言えども、公園は広いし山も近いので採ろうと思えばいくらでもあります。

    そんなわけで 今年は自分たちで料理してみる事にしました。

    ある公園に向かって歩いていると、見事なつくしがニョキニョキと道端に生えていました。まるでつくし畑。つくし平野とでも言いましょうか。狂喜乱舞です。野菜畑から野菜を好きなだけ盗むようなものです。そこいらの人間たちにとって雑草でしかないつくしは、採っても採っても罪悪感がありません。脳内快楽伝達物質ドーパミンが出まくりでした。

    つくしの頭が青くてやや不気味に思えても、青い方がむしろいいくらいで、成長して開き切った感じのものはあまり良くないようです。

    ではつくしの調理方法をお教えしましょう。まず「はかま」を取ります。

    ↑調子に乗ってどっさり採りました。 1本1本ひとつひとつ「はかま」を取ります。↑

     

    ↑はかまを取るとちょっときれいになり、取ったはかまはこんなになりました。↑
    はかま取りは2人で1時間半かかりました。はかまは捨てます。

     

    手は汚れます。でも、虫などもついてなくて気持ち悪いということはありませんでした。手慣れてしまったので、道端に生えているつくしを見たら、意味もなくはかまを取ってしまうかも知れません。
    さて、裸になったつくしをよーーーく水洗いします。さっとゆがいて一晩水につけるという説もありますが、うちではよく洗って速攻で炒めることにしました。

    ↑猫は食べ物と認識。んで、はかまを取ったつくしを油で炒めたもの。↑
    ちょっといい色になります。

     

    ボールいっぱいになりました。それを煮立った「だし」に入れます。

     

    ボールいっぱいになったとは言え、実際はものすごく採ったので、もっと量が多いと思いました。かなり縮んでしまいます。
    だしは「かつお昆布だし」を使いました。そこにつくしを入れ煮込みながら「砂糖」を入れ、「みりん」を入れて甘みを、そして「酒」「しょう油」で味付け終了。とっても簡単です。炒めるとき、ごま油を使うともっといい味になりそうです。
    いわゆるつくだ煮って言うんですかね。調味料の分量は「全部適宜」です。(笑)

    忍び寄る猫。最後に「盛りつけ」して食べます。
    時間が経つと味がしみてもっと色が濃くなっていきます。

     

    ちゃんと「つくし」の味がします。 春の味がします。つくしの料理が流行らないのは、多分、はかまを取る作業が機械ではできず、人間がやっても効率が悪いからではないかと思います。たくさん作ったつもりでも縮んでしまうのでちょっとしかできません。そこらじゅうに生えるので価値もなさそうに見え、手がかかれば高くなる。誰も買いませんよね。きっと。


  • v041 妖怪人間ベム

    ■妖怪人間ベム

    怪しい
    怪しい

    両親とはぐれてしまい、路頭に迷っている小さな女の子がおりました。そこに通りかがったのが、見た目にはとても恐い妖怪人間ベムのような男でした。

    ベムは妖怪ですから得体の知れない力もあり実際に恐いのですが、その力が発揮されるのは「悪」に対してであって、か弱い女の子へのものではありません。
    そういうことには子供は敏感で、良い人か悪い人かはすぐにわかるものです。このベム似の男も悪い人ではありませんでした。

    「どうしたんだい、道に迷ったのかい?」
    「お父さんとお母さんがどこに行ったかわからなくなったの」
    「それは大変だ、一緒に探してあげよう」

    そう言ってベム似の男は女の子の手をとって一緒に両親を探してあげました。しかしなかなか見つけることができません。しばらくすると交番が見えたので、迷うことなく交番へ入りました。

    「おまわりさん、この人が私を連れ回すんですけど」
    「ええっ!?」
    「なにっ! お前みたいなヤツが社会を腐らせるんだ」
    「ちっ、違いますよっ」
    「お嬢ちゃん、もう大丈夫だよ」
    「ありがとう、おまわりさん」

    子供というのは、ちょっとしたウソもついてみたいものなのです。
    まあしかし、このご時世、小さな子供に声をかけ、一緒に歩くなんてことは泥棒するより危険な行為となってしまいました。親にとっては子供の命に関わることとなり、学校などにしても子供が知らない人に道を尋ねられてもまず逃げるような指導をするところまできてしまいました。

    このごろの犯罪は徹底して弱者へ向かっているように思います。どうせなら表に出せない大金を隠し持っている政治家をターゲットにすればいいのに、とか、思ったり思わなかったり。(ここ忘れていいですよ)

    さて、札幌のサイクリングロードの道端に、ベムのような風貌の男と女の子が手をつないでいる道路標識(?)を発見しました。なぜか分かりませんが、これがとても奇異に思えたものですから、ついつい写真にも撮ってしまいました。


    さて、この写真を撮ったあと、自転車に乗っていると、このベム兄さんが日本中にたくさんいることに気付きました。


    日本中で帽子をかぶったベム似の男が子供を連れ回しております。昔の日本は安全だったんですね。(何か違う)